ハトヤについて

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ハトヤの歴史

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ハトヤは太平洋戦争終戦の翌年、昭和二十一年四月に冷凍菓子 並びに水産煉製品製造小売業として、料理人であった、 松本辰次郎によって創業されました。社名は平和の願いを込め、 平和のシンボルである「鳩」から「ハトヤ」と名づけられました。 創業者の辰次郎は戦前から戦中にかけ、姫路市内で「辰乃屋」と いう料理屋を営んでおり、料理、食材の知識は豊富にありました。 終戦後の食糧難の中にあっても、姫路は瀬戸内海に面し、その中 でも播磨灘という海の幸の宝庫を持つ好立地のため、原料となる 魚は当時、豊富に獲れておりました。料理人であった辰次郎が 「自分の才を生かして、何か、人々に食べてもらえる物はないか?」 と考え、思いついたのが、魚を使った料理の一品である「蒲鉾」でした。

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辰次郎は元料理人ではありましたが、社員は辰次郎以外素人ばかりで、蒲鉾製造の専業となると知識と技術をもった人材が必要でした。 そこで、当時は包丁一本で全国を渡り歩く流しの蒲鉾職人を雇い入れて製造を続けておりました。製造現場は、時には包丁の飛び交う荒々しさがありましたが、 「美味いもの」を作ると言う信念のもと、辰次郎自らは技術を習得し、また社員には指導しながら「ハトヤ」の礎を築いて行きました。 そして、昭和二十六年の三月には「ハトヤ商店」から「株式会社ハトヤ商店」へと組織を変更、その年の十一月には全国蒲鉾品評会では「厚焼き」にて 「水産庁長官賞」を受賞し、わずか五年でその技術、品質を全国に認められるまでになりました。

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昭和三十年代中頃から、採肉した魚の身を冷凍にした冷凍スリミが普及してきました。 原材料となる原魚を卸して、採肉、晒し(洗い)といった加工工程を蒲鉾工場でなく、冷凍スリミ加工工場で処理してしまう、蒲鉾業界にとっては画期的な発明でした。

ここで、ハトヤは大きな選択を迫られました。冷凍スリミを利用した拡大路線、そして、 今まで通り料理の一品としての蒲鉾をお客様に直接売り続ける路線。料理人であった辰次郎は後者を選びました。 時代の流れから冷凍スリミを利用することは避けられませんでしたが、『蒲鉾とは斯くあるべし』と原魚を使った蒲鉾は造り続けていったのでした。

そして、その技術と味は東宮御所に焼抜蒲鉾を献上、ご嘉納の栄を賜ることとなったのです。創業から六一年間の時を経ましたが、辰次郎がこだわった蒲鉾造りをハトヤは今も守り続けているのです。

・・・つづく

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