ごあいさつ
かまぼこの原材料である魚。 はるか昔に我々が誕生した「海」のめぐみによって育まれた命から「かまぼこ」は作られています。
日本人は食事の前には「いただきます」と言います。
「いただきます」には料理を作ってくれた人や、 食材を生産した人への感謝の気持ちを表す言葉でもありますが、「あなたの命を私の命にさせていただきます」と言う意味もあります。
私どもの商売は数多くの海のめぐみを利用する事で成り立っております。
100gの蒲鉾を作るのに約250gの原魚が必要ですから、全世界で作られる年間百数十万トンの練り製品の原材料には天文学的な数の魚が必要になります。
その全てがまた私達の命となるわけではなく、廃棄処分されるものも数多くあります。
ある国では、はえ縄漁獲量の30%が廃棄されていると聞きます。 意味なく命を失う魚は想像以上に多くいるのです。
「姫路のかまぼこ屋として、何ができるか??」
昔の日本では、みんなが食べる分だけ、食料を作っていました。捨てる食料なんてありませんでした。
我々は昔のように、みなさんに食べていただける分だけ、かまぼこを作る事を目指し、地球にやさしい、みなさんの幸せに貢献できる様、進んで行きたいと思います。
「海のめぐみで人の命をつなぐ」を使命とし、 美味しいかまぼこを皆様にお届けし続けたいと願っております。
株式会社ハトヤ 代表取締役 松本敏郎
ハトヤの歴史
ハトヤは太平洋戦争終戦の翌年、昭和二十一年四月に冷凍菓子 並びに水産煉製品製造小売業として、料理人であった、松本辰次郎によって創業されました。
社名は平和の願いを込め、平和のシンボルである「鳩」から「ハトヤ」と名づけられました。
創業者の辰次郎は戦前から戦中にかけ、姫路市内で「辰乃屋」と いう料理屋を営んでおり、料理、食材の知識は豊富にありました。
終戦後の食糧難の中にあっても、姫路は瀬戸内海に面し、その中でも播磨灘という海の幸の宝庫を持つ好立地のため、原料となる魚は当時、豊富に獲れておりました。
料理人であった辰次郎が「自分の才を生かして、何か、人々に食べてもらえる物はないか?」と考え、思いついたのが、魚を使った料理の一品である「蒲鉾」でした。
辰次郎は元料理人ではありましたが、社員は辰次郎以外素人ばかりで、蒲鉾製造の専業となると知識と技術をもった人材が必要でした。
そこで、当時は包丁一本で全国を渡り歩く流しの蒲鉾職人を雇い入れて製造を続けておりました。
製造現場は、時には包丁の飛び交う荒々しさがありましたが、「美味いもの」を作ると言う信念のもと、辰次郎自らは技術を習得し、また社員には指導しながら「ハトヤ」の礎を築いて行きました。
そして、昭和二十六年の三月には「ハトヤ商店」から「株式会社ハトヤ商店」へと組織を変更、その年の十一月には全国蒲鉾品評会では「厚焼き」にて「水産庁長官賞」を受賞し、わずか五年でその技術、品質を全国に認められるまでになりました。
昭和三十年代中頃から、採肉した魚の身を冷凍にした冷凍スリミが普及してきました。
原材料となる原魚を卸して、採肉、晒し(洗い)といった加工工程を蒲鉾工場でなく、冷凍スリミ加工工場で処理してしまう、蒲鉾業界にとっては画期的な発明でした。
ここで、ハトヤは大きな選択を迫られました。冷凍スリミを利用した拡大路線、そして、今まで通り料理の一品としての蒲鉾をお客様に直接売り続ける路線。
料理人であった辰次郎は後者を選びました。時代の流れから冷凍スリミを利用することは避けられませんでしたが、『蒲鉾とは斯くあるべし』と原魚を使った蒲鉾は造り続けていったのでした。
そして、その技術と味は東宮御所に焼抜蒲鉾を献上、ご嘉納の栄を賜ることとなったのです。創業から六一年間の時を経ましたが、辰次郎がこだわった蒲鉾造りをハトヤは今も守り続けているのです。
ハトヤの沿革
昭和21年 4月 | 東宮御所に焼抜蒲鉾を献上、ご嘉納の栄を賜る。 |
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昭和26年 3月 | 株式会社ハトヤを設立。水産煉製品製造販売並びに純喫茶を経営。 都市計画により姫路市呉服町48番地へ新築移転 |
昭和29年 6月 | 都市計画により姫路市呉服町48番地へ新築移転 |
昭和36年 9月 | 駅前店新築。姫路市駅前町235番地 |
昭和37年 2月 | 第二工場新築。姫路市北条口5丁目8番地(現本社工場所在地) |
昭和39年 9月 | JR姫路駅地下にフェスタ店を開店 |
昭和44年 6月 | 第二工場跡に本社工場竣工 |
昭和49年 3月 | 本店所在地(姫路市呉服町48番地)にハトヤ第一ビル及びハトヤパーキング(IHI立体駐車場2基)を新設、貸ビル及び駐車場経営を始める |
昭和54年 9月 | 姫路サティ内に姫路店を開店 |
平成12年 9月 | 松本敏郎が四代目社長に就任 |
平成16年 3月 | 山陽百貨店内に山陽店を開店 |
平成18年 9月 | 本社工場大規模改修 |
10月 | 本社直売店(本店)開店・体験教室開始 |
平成23年 3月 | ピオレおみやげ館店開店 |
受賞歴
1960年 | 東宮御所に焼抜蒲鉾を献上、ご嘉納の栄を賜る。 |
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1966年 | 東宮御所に再度献上、ご嘉納の栄を賜る。 |
1984年 | 第23回農林水産祭において、『天皇杯』を受賞。全国蒲鉾品評会関係 |
1951年 | 水産庁長官賞 厚(1952年より1956年までは省略) |
1957年 | 愛知県知事賞 オランダ蒲鉾 |
1958年 | 神奈川県知事賞 厚焼 |
1959年 | 水産庁長官賞 『姫しぐれ』 |
1961年 | 農林大臣賞 焼きとおし蒲鉾 |
1962年 | 名誉無鑑査賞 板付蒲鉾 |
1963年 | 名誉大賞 バター入り『一口天ぷら』 |
1964年 | 名誉大賞 バター入り『一口天ぷら』 |
1965年 | 名誉大賞 バター入り『一口天ぷら』 |
1966年 | 名誉大賞 バター入り『一口天ぷら』 |
1967年 | 農林大臣賞 『幸重ね』 |
1968年 | 名誉大賞 |
1969年 | 名誉大賞 すしだて |
1970年 | 名誉大賞 焼抜蒲鉾 |
1971年 | 名誉大賞 風流『お好み天ぷら』 |
1972年 | 名誉大賞 焼とおし『献上』 |
1974年 |
栄誉大賞 天ぷら『羽衣』 名誉大賞 焼抜蒲鉾 |
1975年 | 名誉大賞 『小天守』 |
1976年 | 名誉大賞 焼抜蒲鉾 |
1977年 | 名誉大賞 焼抜蒲鉾 |
1978年 | 農林水産大臣賞 米入り蒲鉾『みのり』 |
1979年 | 農林水産大臣賞 焼抜蒲鉾『波涛』 |
1980年 | 栄誉大賞 『魚餅』 |
1982年 | 栄誉大賞 竹 輪 |
1983年 | 農林水産大臣賞 いわし製品『はりまっ子』 |
1984年 | 栄誉大賞 沖あみえび製品『あみっ子』 |
1985年 | 栄誉大賞 焼抜蒲鉾『献上』 |
1986年 | 栄誉大賞 いわし製品『かまそぼろ』 |
1987年 | 栄誉大賞 焼抜蒲鉾『献上』 |
1988年 | 栄誉大賞 焼抜蒲鉾『献上』 |
1990年 | 栄誉大賞 |
1991年 | 栄誉大賞 焼蒲鉾『上板』 |
1992年 | 栄誉大賞 『秋三昧』 |
1993年 | 栄誉大賞 |
1994年 | 栄誉大賞 |
1995年 | 栄誉大賞 |
1996年 | 富山市長賞 |
1997年 | 鹿島町長賞 |
1998年 | 大阪市長賞 |
2000年 | 東京都知事賞 |
2001年 | 山口県知事賞 |
2002年 | 水産庁長官賞 『蟹和楽』 |
2003年 | 新潟県知事賞 『上伊達巻』 |
2004年 | タイ大使賞 |
2005年 | 大日本水産会長賞 『れんこん天』 |
2006年 | 全国蒲鉾水産加工業協同組合連合会長賞 『エビカツ』 |
2008年 | 大阪商工会議所会頭賞 『前獲れ穴子かまぼこ』 |
2009年 | ホクレン会長賞 『カニクリームフライ』 |
2010年 | 全国蒲鉾水産加工業協同組合連合会長賞 『国産一本穴子巻』 |
2013年 |
水産庁長官賞 『かまぼこ屋さんのチーズケーキ』 特別賞 『かまぼこ屋さんのチーズケーキ』 |